1995年公開の『耳をすませば』は中学生の男女の恋愛模様を描いた物語であるが、この映画のテレビ放映の後には「自*たくなる」とネット上に書き込む人々が増えるという。
その多くは十代の頃にこの映画を初めて見た人々で、十数年を経て改めて鑑賞すると、自らの「何もなかった」青春時代や、若かりし頃の無為に過ごした日々を嘆きたくなるというのである。
https://tocana.jp/2019/01/post_19334_entry.html
>>1
お前が*
>>2
同意!激しく同意!
実況観てたけどわらたよ
ボケやツッコミが多くて死にたいとかはそんなに無かったぞ
>>19
実況民も耐性がついてきたのかな
数年前は死にたいが並んでたw
>>19
本スレ以外で実況したがそこも殺伐なんかしてなかった
過去にネガ書き込みしてた人大半がリアルが幸せになったんじゃw
>>70
それは祝福すべきだなw
よくわかんないけど青春を謳歌したとしてもその後の人生クソなら意味なくね?
人生の嫌な部分を排除して良い部分だけ過剰に美化してるだけ
>>26
そういう物語
>>26
どんな人生送ってきたんだよw
何で自*たくなるのかさっぱり分からない
10代の主人公が、自分のやりたいと思ったことを実際に「やる」ために
図書館にこもってあれこれ調べたり、
何度もやり直して上手くいかなかったり、
そのために少し学校の勉強を減らすことを両親に談判したり、
「夢をもったら、それをかなえるために自己責任で努力していく」姿を描いた
励まされる作品だと思ったけどなあ
>>28
努力してかなわなかった奴がそれだけ多いんだろ
>>30
それはでも「やりたいと思ったことを実際に『やる』ための」努力じゃないだろ
夢をもったら、それをかなえるために「自己責任で」努力していく、
ということを一切せず
「芸能人になりた~い」とか「野球選手になりた~い」とか
ぼへんとしたユメを描くだけで実際には何もせず、
また主人公のように「そのために学校の勉強を少し減らす」ような直談判を
ちゃんと両親に対してするような腹の決まり方はしてない訳よ
「誰かが私/俺の才能に気づいてくれますように~」
「気づいてくれさえしたら、私/俺は有名人になって、一生ラクして暮らせるんだ~」
みたいな、アナタ任せの夢の見方、かつ
何かの仕事を始めた後には何の努力もいらないと思ってるような想像の仕方をしてる奴が、
「努力したけど叶わなかった」と言ったってそんなの表層だよ
本当に自己責任で腹くくって何かに向けて努力したことがある人は、
それがかなわなかったとしても叶えた人間をうらやむ方向にはならない
必ず何か残るし、どんな小さな影響でも必ず及ぼすから
「何にもしなかった奴」だから、他人の実力や努力を感じることができず、恨む方向になるんだろ
>>28
俺は街並みや生活に惹かれる
ああいう場所で生まれて生活してたらどんな人生になってたんだろうなとひたすら思う
>>34
多摩ニュータウン
あの団地群も今や高齢化過疎化で
子供なんてほとんどいない半ばゴーストタウンみたいになってるよ
地球屋のモデルの喫茶店邪宗門もオーナーが亡くなって閉店して大分経つし
多摩地域はつまらない景観になってしなったよ
劇中に出てくる味のある古めのお店とか軒並み閉店建物取り壊しそんなんばっか
>>44
聖蹟桜ヶ丘ね
別に現実はどうでもいいんだよ
都会過ぎない良い街並みを描いてるのが良いんだよ
>>28
でも大人になって現実を知るんだよ
努力が報われるとは限らないとな
10代でないのは割りきれるんだけど20代が更に暗黒だったから鬱になる
30迄は青春時代と言えるから
俺なんだけど
>>38
これ主人公がら思春期だから心に響く映画だぞ
20代とか別問題
美化しすぎなのは同意
当時の中学生だってあそこまで相愛になれば一線は踏みとどまっても乳揉んで*くらいするわ
>>43
下品すぎワロタw
>>43
だよね
時代なんて関係なく
今回初めてエンドロールで杉本とゆうこがくっついたの知ったわ
>>55
杉村からしたらヤレるならゆうこでも十分だからな
さっき初めて見たけどどこら辺が自*たくなるの?
そんなことよりまだ中学生の女子に対して結婚しようなんて言っちゃってた事が驚き
>>66
思春期の後先考えない思い
汚い現実を知る前の純真無垢な姿を見て
昔に戻りたいと考えるんだろ
昔に戻りたい=自*て生まれ変わる
そんな思考回路
柊あおいの漫画作品この人純粋すぎてつまらん
>>80
小さい子向けの漫画だからしょうがない。
りぼんを買うのは小学校低学年とかだし。
海外で靴職人と聞いたとき一番最初にこれを思い出した
>>84
靴職人は新海誠でしょ
杉村に同情して泣ける。
>>92 野球部のレギュラーになって同級生にも好かれてリア充なんだが
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